僕は昔から、ハマリやすく飽きやすい性格だ。(以下長文、注意。)
「絵・漫画を描く」「ピアノ」「TVゲーム」「ビービー弾拾い」「スケボー」「伝記小説を読む」
「けいどろ」「カールのチーズあし」「漫画を読む」「映画鑑賞」「ファッション(中でも黒)」「スロット」・・・
そのどれもが、ある期間そればかりやって他のほとんどをしなくなる、という具合で、
ある時期にパタっとしなくなる。
ハマりっぱなしなのは、「カレーライスを食べる」だけかもしれない。
しかし今年の春、中島さんの薦めというか助言を頂き、ハマったな、と感じるものがある。
ちょうど僕に、「今後の新たな目標のようなものがみえてきた」頃にあたり、
それは、「読書」である・・・。え?いまさら!?
いやいや、過去にもハマった時期はある。
伝記小説でいえば「イエス・キリスト」「田中正造」「ライト兄弟」「マザー・テレサ」「エジソン」などなど。
↓こんなヤツ
ただ、いずれはパッタリと読まなくなった。何か違うことにハマり変えたのだと思う。
今頃になって再び、活字中毒者とまではいかないが読書好きとなった僕は、この2ヶ月くらいの間に、
クリエイティブなどのハウツー本や小説をあわせて14冊読んだ。
今読んでいる本も5割くらい読んでいる。
ハマっているとはいえ、仕事はもちろん、TVもみるし、子供と一日中遊ぶし、モバゲーだってする。
合間あいまだから、せいぜい14冊だけれども。まあ、数じゃない。
しかしながら、やはりそのうちに読書をやめてしまうのでは・・・
結局「ハマり終えて」活字を見ただけでウンザリする時がくるのでは、
と不安になるときがある。
・・・いや、こんどばかりは、やめてしまわない確信が僕の中にある。
「読書」は、僕の「カレーライスを食べる」となった実感がある。
これから先、2ヶ月で14冊読めない時期があったとしても、やはり数じゃない。
一生ハマれるものだとやっと気づけた。
そりゃあ、もっと早くにハマり直しが効けばよかったと、後悔も若干感じている。
例えば、もしドラを読んだ時期に。
ただ、日々の生活というか人生というかは、さまざまな人や物や行動を選択しながら、もしくは予想もしない事件、
成功や失敗を経験・実感しながら現在に至るわけで、
もしドラの時は読書という行為を上手く選択できなかったことが必然だったのかもしれない。
いまさらだが「いま」=「今後の新たな目標のようなものがみえてきた」頃に、
「読書」が「カレーライスを食べる」となったのは確かだ。
そういえば、以前に読んだ本は内容のほとんどを記憶していない。悲しいくらいに限りなくゼロに近い。
恐らく、「読むという行為」に満足しただけで、
「読んで考える・得る・何かと結びつける・記憶しようとする・自分の経験と重ねる・誰かに伝える・・・etc」を
意識できていなかったのだろう。
今更だけど今更ハマれたことに意味があって、遅くはない気がする。
読書をした時に、明らかに以前とは違う感触を得ているからだ。
なにかこう、ウマくは言えないけれど、
自分の足りない部分は補ってくれて、
自分の中に眠っている記憶や経験や知恵や言葉を呼び起こしてくれるといった感覚。
呼び起こされた時の感覚は、「自分はただのアホじゃねえな」と思えてる自分。
ああ、、、、(ため息)、、、はやく読みたい。。。
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トキメキ読書
いやいや、今更かい!?ってか読んだことないのかい!?
村上春樹。。。
初期3部作と呼ばれている
「風の声を聞け」「1973年のピンボール」、、、
ん~~、オモロかったような???。。。
!!?「羊をめぐる冒険(上)」から急にオモロなってない!!?
これの上下のあとは、ノルウェーさんが待ってる〜。
ああ、、、、(ため息)、、、はやく読みたい。。。